【北米/SS】 SEGA SATURN (1995年5月11日発売) ≪セガ≫

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北米にて発売されたSEGA SATURN本体である。
カラーリングはブラックで、そのデザインの良さから日本のユーザから羨望の眼差しを受けていた。
関連機器も光線銃を除いて全て黒で統一されている。
※日本ではホワイトカラーのみのマルチコントローラ(マルコン)も、北米ではブラックで発売された。
尚、起動画面も日本版SEGA SATURNと異なる。

海外におけるSEGA SATURN事情について紹介しておこう。
海外においてSEGA SATURNは、一言で表現すると「惨敗だった」に尽きる。
日本においては、セガの歴史史上最も売れたハードこそがSEGA SATURNなのであるが、
海外に視点を向けると、SEGA SATURNセガの歴史史上最も売れなかったハードとなるのだ。

日本において、SEGA SATURNのライバルは「PLAY STATION」であり、それは海外においても同じである。
違うのはPLAY STATIONの他にも強力な敵がいたことだ。
その強力な敵とは、セガの自社製品であるGENESIS(海外版MEGA DRIVE)に他ならない。
巨大なシェアを誇っていたGENESISSEGA SATURNの足かせとなった。
確固たる市場が確立していたGENESIS市場を壊してまで、SEGA SATURN販売に力を入れようとしなかったのだ。
その象徴が、GENSIS市場のテコ入れ投入されたGENESIS 32X(海外版SUPER 32X)の存在である。
その結果として、GENESIS、32X、SEGA SATURNと3つのセガ自社ハードが競合し潰しあうことなった。
つまり、GENESISという超巨大市場から、次世代機SEGA SATURNへというシフトが
ユーザー側はもちろんのこと、セガを含めたソフトメーカー側でさえできなかったのだ。

また、これは日本市場向けのアナウンスではあったが、セガ 中山社長(当時)の
ソニックはSATURNでは発表しない』という発言も海外市場に少なからずの影響を与えている。
この中山社長の発言の真の意味は、
「日本においてソニックは、マイナーなMEGA DRIVEハードのゲームキャラであり、
日本においてメジャーを目指すSATURNには似つかわしくない」ということだ。
日本市場向けのアナウンスとはいえ、ソニックが絶対的な人気と知名度を誇る海外市場に
少なからずの影響があったと思われる。
イメージダウンを恐れたセガ現地法人は、1996年 海外チームで作成したソニックの新作
「SONIC 3D BLAST」のSATURN版を、GENESIS版と同時に発表している。
※日本版では「ソニック3D フリッキーアイランド」と改名しSATURN最末期の1999年10月14日に発売。
尚、SATURNで発売されたソニック作品は、
・SONIC 3D BLAST(ソニック3D フリッキーアイランド) [開発:北米]
・SONIC R [開発:欧州]
・SONIC JAM(MEGA DRIVE時代のソニックを1パッケージ) [監修:日本]
以上、3つのみで、正統なソニック作品は発表されなかった。

外市場での過去の成功の自惚れと、戦略の未熟さが、SEGA SATURNを失敗へと導いた。



【マシン名】
 SEGA SATURN(MK-80000) (1995年5月11日発売)
【価格】
 $399
【メーカー】
 セガ
【スペックは日本版SEGA SATURNと同等】
【入手容易度】(易/やや難/難/かなり難/極めて難)
 ≪かなり難≫
 海外市場が破滅的状態であった為、日本へ流入した数も少ない。
 海外限定での発売のソフトなどが、GENESISに比べ圧倒的に少なく、
 結果的に本体の需要も少ない。
 海外の中古市場なら、それなりに見つけることも可能だろう。