【北米/DC】 DREAMCAST HKT-3020 (1999年9月9日発売) ≪セガ≫

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日本より遅れること約一年。北米にもDREAMCASTが投入された。
低価格でハイスペックなDREAMCASTは北米において、日本以上に好意的に迎えられた。
北米版のイメージカラーは白地/黒地にオレンジのぐるぐるマークである。
ソニックなどの優良コンテンツを含め、NBA2K、NFL2Kなどのスポーツシリーズもヒットとなる。
DREAMCASTの全世界累計出荷台数は約1045万台、うち日本での出荷台数は約225万台。
つまり、北米を含む海外市場には820万台も普及したことになる。
GENESISには遠く及ばないが、296万台しか出荷できなかったSEGA SATURNと比べれば、
雲泥の差である。
尚、海外版DREAMCASTに付属する着脱式モデムの通信速度は56Kbpsで、日本版のモデムよりも速い。
これは、当時の通信インフラが日本よりも海外の方が整っていたことが影響している。
※画像内、左の外箱は初期パッケージ。右の外箱は後期パッケージ。


以下、前回の記事より引き続きDREAMCASTについてキーワード単位に考察をする。
【下位互換は必要だったのか】
DREAMCASTSEGA SATURNと互換性を保っていない。つまり下位互換機能を持っていない。
理由は大きく分けて2つある。
一つは技術的な問題。
SEGA SATURNの記事でも紹介したが、SEGA SATURNは、かなり多くのチップを積み複雑な構造を持っている。
そんなSEGA SATURNの専用ソフトを、格段にパワーアップしたDREAMCASTといえど稼動できるようにするには
相当の技術力とマシンパワーが必要となる。そしてそれは、そのままコストへと大きく跳ね返る結果となる。
ハイスペック&ローコストのマシンを早期に投入する必要性があったセガに選択の余地はなかったのだ。

下位互換機能を実装していないもう一つの理由は、DREAMCASTにおいては下位互換機能に利点が少ないからだ。
旧来のソフト資産を生かせるのが下位互換機能の魅力なのだが、下位互換機能を果たすからには
DREAMCAST普及に繋がるものでなくてはならない。
SEGA SATURN市場は、1997年以降「死に体」であったといってよい。
つまり、1996年までは相当数いたSEGA SATURNのユーザ人口も、末期には激減していた。
それは、全盛期と末期のSEGA SATURNソフトの売上げをみればわかる。
後期になると本来売れるべきレベルの優秀なソフトもまったく売れなくなってしまっていたのだ。
更に、SEGA SATURNの優秀なソフトの多くが、PLAY STATIONにも移植されてしまっている。
(それでも、SEGA SATURNでしかプレイできない秀逸な名作ソフトは多々あるのだが)
そんな状況下で、『歴代セガハードに触れてきたコアなセガユーザを除いて』、
DREAMCASTで初めてSATURNのソフトに触れたいと思うユーザや、所有しているSATURNのソフトをDREAMCAST
遊びたいと思っているユーザがどれだけいようかと考えた時に決して多くはないことは想像がつく。
そして世界的な視野でみれば、海外市場にはわずか296万台しか出荷できなかったSEGA SATURNである。
外市場からすればSEGA SATURNの下位互換機能があったとしても、その『旨み』は皆無といってよいだろう。

つまり「下位互換が無かったからDREAMCASTは敗れた」なんていう説は、非常に稚拙で下らない戯言だ。
むしろ、「bleem!」を軸にしたDREAMCAST-PLAY STATION互換が頓挫してしまったことの方がよっぽど大きい。

「下位互換」がその力を発揮するのは、その下位マシンがトップシェアハード級のハードであった場合のみだ。



【マシン名】
 DREAMCAST HKT-3020 (1999年9月9日発売)
【価格】
 $199
【メーカー】
 セガ
【スペックは通常版DREAMCASTと同等】
【入手容易度】(易/やや難/難/かなり難/極めて難)
 ≪かなり難≫
 北米市場においてもDREAMCASTは好調に出荷された。
 日本市場にもそれなりに輸入されてきている。
 ※PSE法適用商品